昨日のパシラ見ればわかりますが、
2002年9月19日今日から期末試験でしたよー。
成績に6割加算なのはわかっていたのですが、カラダが
学校という場所を受け付けないタチなので朝から気分も
悪く…えー、まあご飯食べながらこんな日記読むひとは
いないだろうけどやっぱ書かない方がいいだろうな、
という症状がでました。答案は半分白紙。
アンタそれなら、無理矢理普通の高校に行く必要は
なかったんじゃないかとは思ったんですが。しかも
一応「名門(ということになっている)」の、レヴェルの
高い学校に行く必要はまったくないように見えますが。
ああ、機械工学者ってなんで大学行かなくちゃ
なれないのだろうね。
小さい頃からの将来の夢候補に、常に次点で来た
夢です(ちなみに一番はペンと友達の職業。俺は
パソコンが友達だけど)。せっかく中学受験で入って
きた、大学までエレベーターの学校なのです。
夢叶えるために、中学のときも「出席日数が足りない
んじゃないか?」と教師に苦い顔をされるのを拝み倒して
無理矢理高校まで這い上がってきました。
まぁストレスで体を壊したのは予想外でしたが。
大学行ける身分ってだけでも恵まれているので、
親のすねをかじり倒しても夢を叶える気満々。
大学に行ってしまえば、実習なりレポなりで挽回できる
学科だしね。
大学への推薦は3年間のテストの点だけで決定するので、
留年するとその年の点は良くても悪くても無視される
そうです。二年がかりならいくら文系人間の俺でも
少しはマシな点が取れるかな、というワケで今年は
留年する気満々だったのです(勉強はするけど。
一応はテストも頑張るし)が、いろんなヒトが「やめれ」と
騒ぎます。彼らにとって、留年とは非常に大きな人生の
汚点であるようです。特にエリート街道まっしぐらで
教師などになった父は、ショックで脳の血管がイって
しまったのではないかと思うほど激怒しました。
そーか、留年って恥ずかしいことだったんだなー。
「人間は皆それぞれのペースがあるんだ。
一年や二年の足踏みをするなんて、誰でもある
当たり前のことだヨ」
と彼らに聞かされて育ってきたので信じ込んでいたのです。
おとーさんの嘘つきー(笑。
フリースクールや単位、通信制の学校に行こうかと
中学のとき真剣に考えていたけど、周りの人たちは
やっぱり止めました。自分も単位制の出で大学に行くのは
難しいかもと思った(自主的に勉強するのが苦手だから)
ので普通の高校に来ました。案の定、勉強が苦手な俺に
あれやこれやと頭がパニクるほど学問を強制してくれます。
その中で頑張ろうと思いながら、ついていけない自分と、
それを追い立てるヒトがいるのを確かに感じるのです。
本当は止められたときに気付いてても良かったのですね。
マイペースであることは恥ずかしいことなのだと。
いや正確に言えば、世間一般で恥ずかしいとされて
いるという事実に気付いていなかったのです。
そんなのちっとも恥ずかしくないよ、と慰める人たちは、
必ずその続きを言ってしまうのです。
「仕方ないじゃん」。
は?
仕方ない?
それって、どうしようもないことを諦める時の言葉じゃ
ないんですか? 俺はそんなにどーしよーもなく
マイペースですか? いいえ、むしろマイペースで
あるということがどうしようもないんですか?
最近とみにそう思います。
世間の評価なので俺の考えを述べたりしても仕方が
ないコトなんだけれども、そしてマイペースである
自分が書けば言い訳にしかならないのも知っているの
だけど、何となく悔しいのです。
蔑まれるのも侮られるのも慣れました。
蔑まれるのも侮られるのも平気です。
でも「仕方がない」というセリフは、
慰めのつもりなのでしょうが痛いのです。
俺ってそんなに「仕方が無い」人間ですか。
そう自分で思うのが嫌なのです。
なんだかそれを言ったヒトとは、少しずつ縁遠くなって
います。今、仲良くしているヒトたちは、「じゃあ
来年から先輩と呼べ」と居丈高に言ってくれます。
侮られているように見えますか?
ええ、侮られていますとも。
たぶん、侮られているのだろうというのは解ります。
侮りながらも欠落を愛嬌として付き合ってくれ、
俺の世間ずれしたキャラクターをも侮るべき欠落の
ひとつとして捉えてくれているのがどうしようもなく
有り難いのです。その欠落がない俺なんぞ気味が悪いと
言ってくれるのが有り難いのです。彼らも苦笑しながら
「仕方ないなぁ」とは言いますが、「頑張れば何とか
なるんじゃないの?」とかは言いません。定時や単位に
行こうかと相談したときも、「卒業式に一緒に出れなく
なるな」とは言いましたがそれだけでした。それが
本当に有り難いのです。涙が出るほど有り難いのです。
だからせめて、パシリまがいだと言われても、彼らが
俺に期待する小さなことだけはしてあげたいのです。
ちょっと荷物を待ってあげるとか、食堂で水をもらって
来るとか、待ち合わせのときは自分が早く行くとか。
「友達と言うより下僕だろ?」と自称したり言われたり
するけど、それでいいのです。友達面して、まるで
乞食に小銭を握らせるかのように慰めの暴言を吐く
ヒトたちよりはずっとマシなのです。
×××××××××××××××××××××
あれ…これ、コラム?
思ったことニュースでもないぞ。
しかし「ってか長」というツッコみは不可。
成績に6割加算なのはわかっていたのですが、カラダが
学校という場所を受け付けないタチなので朝から気分も
悪く…えー、まあご飯食べながらこんな日記読むひとは
いないだろうけどやっぱ書かない方がいいだろうな、
という症状がでました。答案は半分白紙。
アンタそれなら、無理矢理普通の高校に行く必要は
なかったんじゃないかとは思ったんですが。しかも
一応「名門(ということになっている)」の、レヴェルの
高い学校に行く必要はまったくないように見えますが。
ああ、機械工学者ってなんで大学行かなくちゃ
なれないのだろうね。
小さい頃からの将来の夢候補に、常に次点で来た
夢です(ちなみに一番はペンと友達の職業。俺は
パソコンが友達だけど)。せっかく中学受験で入って
きた、大学までエレベーターの学校なのです。
夢叶えるために、中学のときも「出席日数が足りない
んじゃないか?」と教師に苦い顔をされるのを拝み倒して
無理矢理高校まで這い上がってきました。
まぁストレスで体を壊したのは予想外でしたが。
大学行ける身分ってだけでも恵まれているので、
親のすねをかじり倒しても夢を叶える気満々。
大学に行ってしまえば、実習なりレポなりで挽回できる
学科だしね。
大学への推薦は3年間のテストの点だけで決定するので、
留年するとその年の点は良くても悪くても無視される
そうです。二年がかりならいくら文系人間の俺でも
少しはマシな点が取れるかな、というワケで今年は
留年する気満々だったのです(勉強はするけど。
一応はテストも頑張るし)が、いろんなヒトが「やめれ」と
騒ぎます。彼らにとって、留年とは非常に大きな人生の
汚点であるようです。特にエリート街道まっしぐらで
教師などになった父は、ショックで脳の血管がイって
しまったのではないかと思うほど激怒しました。
そーか、留年って恥ずかしいことだったんだなー。
「人間は皆それぞれのペースがあるんだ。
一年や二年の足踏みをするなんて、誰でもある
当たり前のことだヨ」
と彼らに聞かされて育ってきたので信じ込んでいたのです。
おとーさんの嘘つきー(笑。
フリースクールや単位、通信制の学校に行こうかと
中学のとき真剣に考えていたけど、周りの人たちは
やっぱり止めました。自分も単位制の出で大学に行くのは
難しいかもと思った(自主的に勉強するのが苦手だから)
ので普通の高校に来ました。案の定、勉強が苦手な俺に
あれやこれやと頭がパニクるほど学問を強制してくれます。
その中で頑張ろうと思いながら、ついていけない自分と、
それを追い立てるヒトがいるのを確かに感じるのです。
本当は止められたときに気付いてても良かったのですね。
マイペースであることは恥ずかしいことなのだと。
いや正確に言えば、世間一般で恥ずかしいとされて
いるという事実に気付いていなかったのです。
そんなのちっとも恥ずかしくないよ、と慰める人たちは、
必ずその続きを言ってしまうのです。
「仕方ないじゃん」。
は?
仕方ない?
それって、どうしようもないことを諦める時の言葉じゃ
ないんですか? 俺はそんなにどーしよーもなく
マイペースですか? いいえ、むしろマイペースで
あるということがどうしようもないんですか?
最近とみにそう思います。
世間の評価なので俺の考えを述べたりしても仕方が
ないコトなんだけれども、そしてマイペースである
自分が書けば言い訳にしかならないのも知っているの
だけど、何となく悔しいのです。
蔑まれるのも侮られるのも慣れました。
蔑まれるのも侮られるのも平気です。
でも「仕方がない」というセリフは、
慰めのつもりなのでしょうが痛いのです。
俺ってそんなに「仕方が無い」人間ですか。
そう自分で思うのが嫌なのです。
なんだかそれを言ったヒトとは、少しずつ縁遠くなって
います。今、仲良くしているヒトたちは、「じゃあ
来年から先輩と呼べ」と居丈高に言ってくれます。
侮られているように見えますか?
ええ、侮られていますとも。
たぶん、侮られているのだろうというのは解ります。
侮りながらも欠落を愛嬌として付き合ってくれ、
俺の世間ずれしたキャラクターをも侮るべき欠落の
ひとつとして捉えてくれているのがどうしようもなく
有り難いのです。その欠落がない俺なんぞ気味が悪いと
言ってくれるのが有り難いのです。彼らも苦笑しながら
「仕方ないなぁ」とは言いますが、「頑張れば何とか
なるんじゃないの?」とかは言いません。定時や単位に
行こうかと相談したときも、「卒業式に一緒に出れなく
なるな」とは言いましたがそれだけでした。それが
本当に有り難いのです。涙が出るほど有り難いのです。
だからせめて、パシリまがいだと言われても、彼らが
俺に期待する小さなことだけはしてあげたいのです。
ちょっと荷物を待ってあげるとか、食堂で水をもらって
来るとか、待ち合わせのときは自分が早く行くとか。
「友達と言うより下僕だろ?」と自称したり言われたり
するけど、それでいいのです。友達面して、まるで
乞食に小銭を握らせるかのように慰めの暴言を吐く
ヒトたちよりはずっとマシなのです。
×××××××××××××××××××××
あれ…これ、コラム?
思ったことニュースでもないぞ。
しかし「ってか長」というツッコみは不可。
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