一日に数件を書けるようにシステム変更されたこの日記。

だからって何件も書いてる俺は一体何がしたいんだろう。

ほけーっと考えてます、滝野ですコンバンハ(何度目だよ。

 

 

 

 

 

つまるところは「何も考えたくない」のだと思う。

滝野は本当に夢想家で、現実を見ておらず、かつ見る気もなく、
ただぼけぼけと自分の空想や他人の空想の中で生きている。

しかしながら今考えねばならんのは目の前の現実についてで、
本当なら日記など書いたり音楽を聴いたり漫画を読んだり、
躍起になってゲームに打ち込んだり、そんな暇はない。
現実を考え、見据え、強かに生きる術を身に付けて行かねば
ならん年頃であるハズなのである。

体を患った。心も患った。容姿は醜くなり、それと同じくして
精神もまた醜悪に屈折し歪曲していった。

だからどーした、と自分を叱らねばならん。
闇の住人を気取ったところで、朝はまた来るのだから、
その朝に備え、覚悟を決めておかなくては。

 

文章を書くということは好きだから、絵を描く時よりも
無心になるから、だから日記を書いて逃げる。

それでは駄目だと言うに。

時折こういう文を書いて、自分の首根っこを掴んで
引っ張り戻してやらなくてはいけない。

文を書いて逃げる自分が、あまり好きではない。

文を書いて、何とか引っ張り戻してやれる自分は
結構好きなのに、残念である。

 

 

 

▼ で。

文というのは思想・夢想の断片だと思う。
その時俺の脳に走っていたものを、そのままキーボードに
載せて作るのだから当然だ。

その断片は、残すのも、見返すのも、嫌ではない。

 

だが、写真は嫌いである。

時間の断片を克明に切り出す、写真というものの上に
俺自身の姿を残すのが大嫌いである。
風景や友人の写真は、懐かしい記憶の切片であり、
大切な宝物にもなり得るほどであるというのに。

思想の上の、夢想の上の自分は認められるくせに、
現実に存在する自分の姿を見るのは嫌いなのだ。
毎朝向かい合う洗面所の鏡だって、許されるなら
叩き割ってやりたいほどなのだ。

 

これでは駄目だと重々承知なのだが。

 

さあ、数学の問題集でも解くか。

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