夕暮れの公園でひとり、ブランコに座り黄昏る。

「どうして……ケツが痛いんだろう……これはまさか……」
「食い込んでいる?!」
「やっぱりそうだ! はずれねぇ!」

 元ネタはたかなし霧香さんの「ワンダフルワールド(Eニックス)」、
実践しようと思って公園に行ったらお子様がいっぱいいた。

 いつもは閑散としてるのに、何故こういう日に限って子供がいるんだろう。

 あとブランコの横幅は結構広くてケツが外れなくなるよーな悲劇は
起こりませんでした、残念賞の滝野ですコンバンハ。

 

 で、子供たちがいなくなるまで座って待ってた(←怪しい)のですが、
そしたらふと小さいころのことを思い出しました。まだ幼稚園に入って
間もないくらいの頃のこと。

 

 私の行っていた幼稚園は園児数の割に敷地面積が狭くて遊具も足りず、
駐車場の屋上に人工芝を敷いて運動場にしているようなところでした。

 その中で滝野は「高速で園内を一周走る」「砂場と建物の間の深い溝に
降りてみる」「雨どい伝いに二階へ登ろうと試みる」などなど、他の子供なら
絶対にやらんであろう遊びを多々開発して楽しんでいたワケですが……

 たまに遊具を使って遊ぼうとすると、やっぱり競争率が高いのです。
たった4台のブランコとトランポリンの前には長蛇の列ができ、後ろの方に
並んでしまうと順番待ちだけで休み時間が潰れることもしばしばでした。
しかも子供のことだから、口は出るわ手は出るわ、列なんかお構いなしに
割り込む奴も当然いるわ。

 割り込まれたり順番抜かしをされると、普通の子は何らかの反応を示します。
泣くなり怒るなり抗議するなり、場合によってはそれで喧嘩にもなりました。

 でもね、何事にも例外があるんですよ。

 何もせずにじーっと待ってる子供。
 並んでるんだから次は自分の番だ、って、じーっと待ってる。
 そういう子がいました。

 

 私ですが。

 

 幼稚園の先生はえらく心配されたようです。決して大人しい子ではなかったので、
押しのけられても転ばされても黙って待ってる、という図は不気味だったのでしょう。

 素手だとピリピリするような、冷たい鉄の鎖を握っていた時、紅葉の下に
それと同じものを見た気がしました。

 小さい頃に何度も登った紅葉の樹。
 根元にはクローバーが茂っていて、よく四葉を探してた。

 同じ場所に、子供特有の大きな目をした自分がじっと立っていて、
ブランコが空くのをただ待っている。

 なんでそう思ったのかはよく分からないけど、「それ」は今も確かに
そこに立ち尽くしていたように思うのです。

 

 " I’m bad. You’re ok. "

 「私は駄目、貴方は良い」

 THE☆ウロオボエ、物事の善悪判断パターンその3。
 誰が何をしても良いが、自分は何をしてもいけない。

 割り込まれるのは嫌だったけど、割り込んだ子は悪くない。
間違っても「抗議して順番を戻してもらう」なんてことをしてはいけない。
その子の楽しみを奪うことになるから。自分がちょっと待てば良いだけの話。

 そんな考え方は15年経っても変わることなく、私の中にこびりついています。

 誰が何をしても良い、自分は黙って待っていろ。
 意見する資格なんか無いのだから。

 そう自分に言い聞かせながら、「あれ」はまだそこで待ち続けていた。

 ような、気がする。

 

 行ってしまった何か、戻ってくるはずのない何かを、まだ待っている。

 

 本当はちゃんと、自分が一番よく知っているはずなんです。

 「また」が無いことも、
 約束がとうに失効していることも、
 自分と同じくらい悪い誰かがいたことも、
 いつもいつも「ひとをたべる夢」を見る理由も、

 本当は全部分かってる。

 

 それでもそこに立っていた「あれ」を、どうしたらいいのか分からないのです。

 冬、一月になると戻ってくる、昔むかしの亡霊。

 毎年この季節になると、ヤツが来るんだよ……_| ̄|○

 しばらく死んでいても気にしないでやって下さい。春には治るから。

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