……晒すのも恥ずかしいが消すのも勿体無いorz 滝野ですコンバンハ。

 

と、ちょっと昔のログを振り返って思ったのです。

日記の内容のくだらなさはいつまで経っても変化していませんが、
それでも文章は変化してゆくのだなとシミジミ感じました。

これは上達なのか?と尋ねられれば、文章がうまくなったわけではなく
日記というものを書き慣れたに過ぎないのですが。

……д´)ノ!!!

文章上手になりたい、と口癖のように言うのは、別に日記や小説が
書きたいからではないのです。

メールを使っての連絡が当たり前である現代において、文章が
上手であるというのは一つのスキルと言っても過言じゃないから。

あと、文章が上手な人というのは大抵頭がいいんですよね。

分かりやすい文章が書ける人というのは、必要な情報を漏らさず取り込み、
余計なことは書かず、日本語によくある「係り受けの混乱」を
起こさないように語順を選択する能力がある人。

当然、その場に適した言葉を選んでくるだけの語彙も必要です。

頭が悪かったらそんな芸当は出来ません。

そして新聞などだと「必要情報を漏らさない」「定められた字数で」を
前提としているのですが、たまにビックリするくらい読みづらい記事が
あったりするのもまた事実。

新聞記者=文章で食うプロ≠文章の達人、この図式はどうなんだ。

理系の専門書なんかだと更に悪化して、「なんでこの文章が本にっ?!」
と頭を抱えたくなるような本が当然のよーな顔で出版されております。

専門知識があるのが前提のため、難解になるのは仕方ないにしても、
文章が全て「である」だけで締められていると叫びだしたくなります。

昔のアニメにそんな悪役がいた気がするなぁ……(遠い目)。

意味を分かってもらえない文章、最初から読んでもらえない文章に
存在価値があるのかどうか、滝野はいささか疑問です。

意識して練習すれば誰でもある程度は上達する、はず、なのですが。
センスある文章が書けることと、分かりやすい文章を書く能力は
別物であるはずですから。

 

「〜だ・である調」は動詞の変形を用いることで語尾を豊富にすることが
可能な文体であることを、皆さんご存知でしょーか。

「〜です」「〜ました」をメインにして書いているこの日記、
そういう誤魔化しが利かないので、実はかなり頑張っています。

「〜ます、〜ます、〜です? うわーなんだコリャ語呂悪ぃ」

と、あまり意味のないところでの努力なのですが!

それが能力向上に繋がると信じたい……否、俺は信じる!
きっと信じるよー!と意味不明なことを叫んでみる今日この頃。

 

 

その他にもこう、パリッとした文章だって書けるようになりたいよ。

ねぇ?

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