俺はもうその記憶焼き消したい
2005年9月20日 日常人に日記を教えて、「過去ログ読んだよ」と言われる度に思い浮かべる台詞。
ちなみにその次に思い浮かぶのは、
「貴様ら歯ァ食いしばれ! 記憶ごと殴り飛ばしてやるァ」
無論巻き舌です。滝野ですコンバンハ。
滝野は自他共にと言っていいかどうかは分かんないけど
とりあえず本人は認める日本語フェチです。
だからといって詳しいのかと言えばさにあらず、
ただの偏愛(むしろ変愛)だと思いねぇ。
ぼへーと日本で暮らしていると見過ごしがちなことなんですが、
言葉は必ずしも音声のみで意思を伝えるものではないのですね。
だって日本語は、読み書きできるのが前提の言語だから。
自分の名前を名乗る時、「○○って書いて〜」と言う人は多いと思います。
最近は全部が平仮名の人も多いけど、それは突っ込まないで下さい。
どんな漢字で書くか、それによって「音の響きによるイメージ」だけでなく
「意味」が付与され、そうすることで初めて日本語の言葉は言葉として
意味を成すわけです。
だから日本では、言葉を喋れる人はそれなりに読み書きもできる。
当たり前のように感じてるけど、実はすごく特殊なことなんだよね。
その上外国の知識といえば書物から得るばかりだった日本人にとっては、
文化はおろか言語までもを「読み書きから学ぶ」のが当然となっているのは
仕方の無いことなのかも知れません。
本当は日本語が特殊な性質を持っているというだけのことで、
外国語は音声から入ったほうが覚えやすものの方が大半だと
何かで読み齧ったような気がするのですが。
逆に外国の人が日本語を学ぶ時は、単語を丸暗記するよりも
常用漢字を覚えた方が手っ取り早いように思います。
実はこれ、サマンサが我が家に来た時にシミジミ感じたことでして。
妹が彼女の名前を当て字で書いた時、その意味を説明するのに
えらく手間取ったのです。
「佐満沙」って書いて、「佐」はいい。ひとをたすけるという意味だ。
「満」もいい。おおくある、みちたりているという意味。
困ったのは「沙」の文字。直訳するなら「水辺の砂」なんだけど。
そこには「みずにあらわれるうつくしいもの」とか「やわらかさ」とか
「つきひをかけてふりつもるもの」とか色々な意味が詰まっているわけで、
でも字面にすれば一文字しかないものにそれだけのものが入っているとは
彼女には納得し難かったらしく、説明するのに大層時間がかかりました。
漢字を知っている日本人ならそれだけの意味を理解できなくても、
「砂」ではない時点で「ただの砂地」ではないことは分かる。
読めて書けて初めて、言葉の意味を正確に知ることができるのです。
おおよそ2000の常用漢字を覚えていれば、それが2000個の語彙になる。
それを二つ、三つと組み合わせていけば、見ただけでおおよその
意味の分かる新しい単語の出来上がり。
「ただしい」「たしか」というそれぞれの文字の意味が理解できていれば、
「正確」という字面が読めなくても全く問題はないのです。
それで意味は通じるのだから。
話すことよりも書くことが得意な私は、英語よりも日本語が好きだ。
何が言いたいのかと申しますと、
もう作文とか日本語でさせて下さい。
日本語でだったらいくらでも書くから! いっそ日本語で
原稿用紙50枚書いて来いって言われた方が、私は楽だから!
言葉のマジックでひとつ、何かの文献からのウロオボエ引用。
pithecanthropusという英単語、英語が母国語の人でもまず読めないし、
その道の専門家でもなきゃそれなりの知識人であっても理解できない。
でも辞書で引いてみると、日本語では失笑が漏れるくらい簡単なんだよ。
中学生でも字面を見れば、おおよそ何のことか見当がつくくらい。
漢字文化って素晴らしいよね。
やまと言葉には漢字がないだとか、漢字は中国の文化じゃね〜かとか、
もちろんそういうツッコミもあるのでしょうが。
中国の漢字を借りてきて、もはや本家とは全く別の意味での用途に
持ってきている辺り、見事な生花文化だなぁと感心してしまう私は
もはや末期なのでしょうか。
(※生花文化……
よそ様から花(文化)を切ってきて、自分なりに素敵に飾った結果。
何かで読んだ喩えなのだけど原典が思い出せなくて困ってます)
ということを生物の授業時間中に考えていた今日この頃(何)、
明日は体育祭だ! クラス対抗リレーだ!
任せろ、バトンぶん投げてくれるわー!(ぇー
ちなみにその次に思い浮かぶのは、
「貴様ら歯ァ食いしばれ! 記憶ごと殴り飛ばしてやるァ」
無論巻き舌です。滝野ですコンバンハ。
滝野は自他共にと言っていいかどうかは分かんないけど
とりあえず本人は認める日本語フェチです。
だからといって詳しいのかと言えばさにあらず、
ただの偏愛(むしろ変愛)だと思いねぇ。
ぼへーと日本で暮らしていると見過ごしがちなことなんですが、
言葉は必ずしも音声のみで意思を伝えるものではないのですね。
だって日本語は、読み書きできるのが前提の言語だから。
自分の名前を名乗る時、「○○って書いて〜」と言う人は多いと思います。
最近は全部が平仮名の人も多いけど、それは突っ込まないで下さい。
どんな漢字で書くか、それによって「音の響きによるイメージ」だけでなく
「意味」が付与され、そうすることで初めて日本語の言葉は言葉として
意味を成すわけです。
だから日本では、言葉を喋れる人はそれなりに読み書きもできる。
当たり前のように感じてるけど、実はすごく特殊なことなんだよね。
その上外国の知識といえば書物から得るばかりだった日本人にとっては、
文化はおろか言語までもを「読み書きから学ぶ」のが当然となっているのは
仕方の無いことなのかも知れません。
本当は日本語が特殊な性質を持っているというだけのことで、
外国語は音声から入ったほうが覚えやすものの方が大半だと
何かで読み齧ったような気がするのですが。
逆に外国の人が日本語を学ぶ時は、単語を丸暗記するよりも
常用漢字を覚えた方が手っ取り早いように思います。
実はこれ、サマンサが我が家に来た時にシミジミ感じたことでして。
妹が彼女の名前を当て字で書いた時、その意味を説明するのに
えらく手間取ったのです。
「佐満沙」って書いて、「佐」はいい。ひとをたすけるという意味だ。
「満」もいい。おおくある、みちたりているという意味。
困ったのは「沙」の文字。直訳するなら「水辺の砂」なんだけど。
そこには「みずにあらわれるうつくしいもの」とか「やわらかさ」とか
「つきひをかけてふりつもるもの」とか色々な意味が詰まっているわけで、
でも字面にすれば一文字しかないものにそれだけのものが入っているとは
彼女には納得し難かったらしく、説明するのに大層時間がかかりました。
漢字を知っている日本人ならそれだけの意味を理解できなくても、
「砂」ではない時点で「ただの砂地」ではないことは分かる。
読めて書けて初めて、言葉の意味を正確に知ることができるのです。
おおよそ2000の常用漢字を覚えていれば、それが2000個の語彙になる。
それを二つ、三つと組み合わせていけば、見ただけでおおよその
意味の分かる新しい単語の出来上がり。
「ただしい」「たしか」というそれぞれの文字の意味が理解できていれば、
「正確」という字面が読めなくても全く問題はないのです。
それで意味は通じるのだから。
話すことよりも書くことが得意な私は、英語よりも日本語が好きだ。
何が言いたいのかと申しますと、
もう作文とか日本語でさせて下さい。
日本語でだったらいくらでも書くから! いっそ日本語で
原稿用紙50枚書いて来いって言われた方が、私は楽だから!
言葉のマジックでひとつ、何かの文献からのウロオボエ引用。
pithecanthropusという英単語、英語が母国語の人でもまず読めないし、
その道の専門家でもなきゃそれなりの知識人であっても理解できない。
でも辞書で引いてみると、日本語では失笑が漏れるくらい簡単なんだよ。
中学生でも字面を見れば、おおよそ何のことか見当がつくくらい。
漢字文化って素晴らしいよね。
やまと言葉には漢字がないだとか、漢字は中国の文化じゃね〜かとか、
もちろんそういうツッコミもあるのでしょうが。
中国の漢字を借りてきて、もはや本家とは全く別の意味での用途に
持ってきている辺り、見事な生花文化だなぁと感心してしまう私は
もはや末期なのでしょうか。
(※生花文化……
よそ様から花(文化)を切ってきて、自分なりに素敵に飾った結果。
何かで読んだ喩えなのだけど原典が思い出せなくて困ってます)
ということを生物の授業時間中に考えていた今日この頃(何)、
明日は体育祭だ! クラス対抗リレーだ!
任せろ、バトンぶん投げてくれるわー!(ぇー
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