ハートに火がついたぜ
2005年11月12日 日常てゆーか近頃燃えっぱなしで学校方面燃え尽き気味。
どれくらい燃えてるかってのを分かりやすく書くと、
某庭球漫画の寿司屋の息子くらいバーニング★
ゴメン分かりにくかった(’A`)滝野ですコンバンハ!
もうホンマすみませんて、俺が悪かったですって許して下さいって。
課題の出過ぎで胃潰瘍になるか、クラスメイトとの付き合いで胃潰瘍になるか、
二択しかなかった俺万歳(’A`)<人間嫌いもほどほどにー
でも今の課題テンコ盛り・奇人のみ生存可能・少人数隔離制度な
クラスではなかったら高校卒業すら出来ていなかったかも。
あとはテストオール0点で課題一切出さなくても、学校に行きさえすれば
高校卒業できるぜイヤッホウー!
「志低ッ?!」とか言わないように。
その「行きさえすれば」が俺にとっては結構高いハードルです。
片道2時間、バスと電車でずっと座っていられるにしても
病弱もやしにはかなり辛いんDEATH……思わず英語変換。
普通の教室に行くより、心理的には楽だからいいんですが。
器用ではないけどオツムの頑丈な子が多くて、滝野のやや吹っ飛んだ
言語センスにもちゃんとついてきてくれるのがありがたいです。
たぶん言葉の選択センスがズレているのでしょう。
「俺はお前に忌憚無い意見が聞きたいんだ!」とかいきなり言い出すような
子だもんな、そりゃ周囲とのコミュニケーションに穴も開くわい。
(※「忌憚ない」……偏見や遠慮のないこと。率直な。)
何かを言う都度「変わった言葉遣いだね」と言われるのは、言ってみれば
「言葉の通じる外国にいるような居心地の悪さ」とでも申しますか。
もしくは「訛りの激しい人が東京に出てきた時の気分」。
とにかく「あー僕は喋っちゃいけないんだ」的な感覚が生まれるのです。
本人はそれほど不自然な言葉遣いをしている自覚はないのですが、
過去の他人との対話データを参照してみれば不一致な箇所が多々あり、
それは僕が他人の使わない言葉を使っているということになるのでしょう。
ヒトと話した数より文字を読んだ数の方がきっと多いから、
僕の言語感覚はヒトではなく本に合ってしまってるのだと思います。
だから文字と仲のいいヒトなら大丈夫だけど、ただのヒトとでは
意思の疎通がうまく行かない。意味は伝わっても意思が伝わらない。
言葉然り、話題然り、表情然り、選択が全く上手にならない上
意識しなければそれを行うことすらできない僕は、きっと
会話機能がきちんと機能していないのです。
会話のできないヒトは社会の中でヒトとして認められないから、
それも息苦しくて仕方がない原因のひとつ。
今いる小っちゃい社会は、小っちゃ過ぎて人外の僕まで
無理矢理巻き込まざるを得ない規模なので。
面倒くさいけど、息苦しくはない、そういう境界線上。
ヒトじゃなくてもいいから、自分の楽なように生きていたいなぁって、
僕はものすごく切実に思います。
だって生きていられなかったら死んじゃうじゃないか!(違)
結論:でもできれば大学行こうぜ
大学を出ることそのものが目的ですよ、ええ。
こういう輩が大学行っても何の意味もないんですが、ぶっちゃけ
まだ働きたくない。おお、我ながらなんて非生産的なんだ。
現実逃避を交えつつ、胃薬を飲みつつ、抗鬱剤も飲みつつ、
ウッカリ併用禁止の薬だったことを忘れて意識を飛ばしつつ、
課題をしつつ志望理由書を書く、そんな今日この頃。
「紫色の猫が虹色の粉を撒き散らしながら飛んでいる」とか
そういう文章が頭を離れません。
これってつまり「ひげよ、さらば」を読めということなんでしょうか。
どれくらい燃えてるかってのを分かりやすく書くと、
某庭球漫画の寿司屋の息子くらいバーニング★
ゴメン分かりにくかった(’A`)滝野ですコンバンハ!
もうホンマすみませんて、俺が悪かったですって許して下さいって。
課題の出過ぎで胃潰瘍になるか、クラスメイトとの付き合いで胃潰瘍になるか、
二択しかなかった俺万歳(’A`)<人間嫌いもほどほどにー
でも今の課題テンコ盛り・奇人のみ生存可能・少人数隔離制度な
クラスではなかったら高校卒業すら出来ていなかったかも。
あとはテストオール0点で課題一切出さなくても、学校に行きさえすれば
高校卒業できるぜイヤッホウー!
「志低ッ?!」とか言わないように。
その「行きさえすれば」が俺にとっては結構高いハードルです。
片道2時間、バスと電車でずっと座っていられるにしても
病弱もやしにはかなり辛いんDEATH……思わず英語変換。
普通の教室に行くより、心理的には楽だからいいんですが。
器用ではないけどオツムの頑丈な子が多くて、滝野のやや吹っ飛んだ
言語センスにもちゃんとついてきてくれるのがありがたいです。
たぶん言葉の選択センスがズレているのでしょう。
「俺はお前に忌憚無い意見が聞きたいんだ!」とかいきなり言い出すような
子だもんな、そりゃ周囲とのコミュニケーションに穴も開くわい。
(※「忌憚ない」……偏見や遠慮のないこと。率直な。)
何かを言う都度「変わった言葉遣いだね」と言われるのは、言ってみれば
「言葉の通じる外国にいるような居心地の悪さ」とでも申しますか。
もしくは「訛りの激しい人が東京に出てきた時の気分」。
とにかく「あー僕は喋っちゃいけないんだ」的な感覚が生まれるのです。
本人はそれほど不自然な言葉遣いをしている自覚はないのですが、
過去の他人との対話データを参照してみれば不一致な箇所が多々あり、
それは僕が他人の使わない言葉を使っているということになるのでしょう。
ヒトと話した数より文字を読んだ数の方がきっと多いから、
僕の言語感覚はヒトではなく本に合ってしまってるのだと思います。
だから文字と仲のいいヒトなら大丈夫だけど、ただのヒトとでは
意思の疎通がうまく行かない。意味は伝わっても意思が伝わらない。
言葉然り、話題然り、表情然り、選択が全く上手にならない上
意識しなければそれを行うことすらできない僕は、きっと
会話機能がきちんと機能していないのです。
会話のできないヒトは社会の中でヒトとして認められないから、
それも息苦しくて仕方がない原因のひとつ。
今いる小っちゃい社会は、小っちゃ過ぎて人外の僕まで
無理矢理巻き込まざるを得ない規模なので。
面倒くさいけど、息苦しくはない、そういう境界線上。
ヒトじゃなくてもいいから、自分の楽なように生きていたいなぁって、
僕はものすごく切実に思います。
だって生きていられなかったら死んじゃうじゃないか!(違)
結論:でもできれば大学行こうぜ
大学を出ることそのものが目的ですよ、ええ。
こういう輩が大学行っても何の意味もないんですが、ぶっちゃけ
まだ働きたくない。おお、我ながらなんて非生産的なんだ。
現実逃避を交えつつ、胃薬を飲みつつ、抗鬱剤も飲みつつ、
ウッカリ併用禁止の薬だったことを忘れて意識を飛ばしつつ、
課題をしつつ志望理由書を書く、そんな今日この頃。
「紫色の猫が虹色の粉を撒き散らしながら飛んでいる」とか
そういう文章が頭を離れません。
これってつまり「ひげよ、さらば」を読めということなんでしょうか。
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