僕は球技ができない。
動体視力、運動神経、距離感覚、諸々の必要能力を異常なまでに
欠いているのが原因である。おかげさまで小学生の頃から、
体育の時間は無駄にボールに激突される変な奴であった。
頭部へのボール激突率が半端じゃない、滝野だよコンバンハ。
しかしそれらの能力は、子供の頃から球技に慣れ親しむことで培われるのが
普通なのだ。多少の差異はあれど、僕ほど「できない」人は珍しいと思う。
少なくとも、飛んでくるボールを前にして距離感が掴めず
そのまま衝突する人はあんまり居ないだろう。
僕も自分自身を除けば、そんな人間は思い当たらない。
では何故そうなっちまったのかといえば、僕が「球技をしなかったから」。
つまり参加しないこと、逃げ出すことに全力だったのである。
ドッジボールなんかやると最後までコートの隅に残ってる子だったが、
逃げる能力云々というより「絶対にボールを取らない安全パイだから」
スルーされていたのだろう。
バスケなんかやると、センターライン付近をなかなか離れない。
唯一「俺このポジションやります!」と立候補したのはサッカーの
ゴールキーパーであるが、これは自主的にボールを追う必要がないので
ハマり位置だったと言える。何故か顔面で止めてたのが自分でも印象深いが。
僕が球技を拒絶する理由、それは「必ず勝敗が存在するから」だ。
僕は負けるのが嫌いだ。勝つのは嬉しい。
そして、他人に勝って優越感を覚える自分が嫌いである。
三番目のひどく穿った勝敗観のために、僕は負けることはできても
勝つことができないのだ。いや、能力があれば勝つこと自体は可能だが、
↑↑↑かーてーたー!という喜び
↓↓↓他人を負かして喜べる自分に失望
↑↑↑チームメイトは喜んでるし盛り下げちゃ駄目ダメ
こんな感じに感情が解離してしまい、自分でも喜んでるんだか
何なんだか分からなくなってくる。
ちなみに個人競技では三番目の過程が抜けるために沈みっぱなし、
負けた場合はもちろん「↓↓↓力が及ばない自分に失望」一択。
こんな感覚を抱きつつ球技を楽しめる人間がいるのなら、是非紹介して欲しい。
その価値観ゆえ、僕の趣味は非生産的、かつ破滅的な方向にしか
向かえないのだなと、しみじみ実感している今日この頃。
人に喜んでもらうと、「相手を喜ばせることができる自分」に
価値を見出せた気がして嬉しくなっちゃうのー。
だから人に優しくする自分は、本当は自分に優しいだけなのー。
そんなコトにいちいち傷付いていたら、社会の中で生きていけないのー。
なのに、気付いていても開き直って優しくする強さが、僕には足りないのー。
もっと強く、それか気付かないで済む程度に愚鈍になりたかったのー。
動体視力、運動神経、距離感覚、諸々の必要能力を異常なまでに
欠いているのが原因である。おかげさまで小学生の頃から、
体育の時間は無駄にボールに激突される変な奴であった。
頭部へのボール激突率が半端じゃない、滝野だよコンバンハ。
しかしそれらの能力は、子供の頃から球技に慣れ親しむことで培われるのが
普通なのだ。多少の差異はあれど、僕ほど「できない」人は珍しいと思う。
少なくとも、飛んでくるボールを前にして距離感が掴めず
そのまま衝突する人はあんまり居ないだろう。
僕も自分自身を除けば、そんな人間は思い当たらない。
では何故そうなっちまったのかといえば、僕が「球技をしなかったから」。
つまり参加しないこと、逃げ出すことに全力だったのである。
ドッジボールなんかやると最後までコートの隅に残ってる子だったが、
逃げる能力云々というより「絶対にボールを取らない安全パイだから」
スルーされていたのだろう。
バスケなんかやると、センターライン付近をなかなか離れない。
唯一「俺このポジションやります!」と立候補したのはサッカーの
ゴールキーパーであるが、これは自主的にボールを追う必要がないので
ハマり位置だったと言える。何故か顔面で止めてたのが自分でも印象深いが。
僕が球技を拒絶する理由、それは「必ず勝敗が存在するから」だ。
僕は負けるのが嫌いだ。勝つのは嬉しい。
そして、他人に勝って優越感を覚える自分が嫌いである。
三番目のひどく穿った勝敗観のために、僕は負けることはできても
勝つことができないのだ。いや、能力があれば勝つこと自体は可能だが、
↑↑↑かーてーたー!という喜び
↓↓↓他人を負かして喜べる自分に失望
↑↑↑チームメイトは喜んでるし盛り下げちゃ駄目ダメ
こんな感じに感情が解離してしまい、自分でも喜んでるんだか
何なんだか分からなくなってくる。
ちなみに個人競技では三番目の過程が抜けるために沈みっぱなし、
負けた場合はもちろん「↓↓↓力が及ばない自分に失望」一択。
こんな感覚を抱きつつ球技を楽しめる人間がいるのなら、是非紹介して欲しい。
その価値観ゆえ、僕の趣味は非生産的、かつ破滅的な方向にしか
向かえないのだなと、しみじみ実感している今日この頃。
人に喜んでもらうと、「相手を喜ばせることができる自分」に
価値を見出せた気がして嬉しくなっちゃうのー。
だから人に優しくする自分は、本当は自分に優しいだけなのー。
そんなコトにいちいち傷付いていたら、社会の中で生きていけないのー。
なのに、気付いていても開き直って優しくする強さが、僕には足りないのー。
もっと強く、それか気付かないで済む程度に愚鈍になりたかったのー。
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