滝野に9999のダメージ!
2007年1月22日 日常滝野は倒れた! 滝野です蘇生はヨロシク。
妹よ、ミクシィ使ったらログアウトしれ。と、明日言おうと思いました。
ちなみに僕は数ヶ月ログインしていません。
うっかりミスクリックしたら人様のマイミク画面でえらく驚いたわけで、
ついでに登録数があり得ないことになってて驚嘆したけれども、
そこで僕の「友達扱いしてる人間」の少なさが異常だと気付きました。
人は誰でもデコボコしてて、一人じゃどこにも行けなくて、
でもあなたの出っ張りは誰かの窪んでいる部分とピッタリで、
それが組み合わさって初めて、どこかへ転がって行けるのよ、って。
それは分からなくもないけれど、その発想をおぞましいと思う僕は
もしかしなくても人として異端です。
僕の角は簡単に折れてしまうし、誰かを受け入れるために自分を抉るのも
当たり前のことで、だけど無理に掘ったその箇所は簡単に壊死を起こして、
結局丸ごと切り捨てる羽目になるんです。
何を主張したいのか自分でもよく分からないけど、つまり僕は
突っ込んで突っ込まれての卑猥な──もとい、一般的な人間同士の
関わり合いというのにモノスゴイ苦手意識がある模様。
変にデコボコ噛み合わせなくても、隣に居てくれるだけでいいんだよ、僕は。
そうして自分から関わろうとしないから、「俺に興味ないんでしょ?」
みたいなことを言われちゃったりして、実際ないからどうしようもないんだけど。
興味がない、イコール不要というわけでもなし、要不要の発想が不健康なら
「その場に居てくれて嬉しい人間かどうか」を基準にしたっていい。
興味はないけど居てくれたら嬉しい、それじゃ駄目なのかなって。
僕にとっての「友人」は「そこに居てくれる人」。
この日記ひとつ取っても、わざわざ相手の袖引いて聞いてもらうのが
申し訳ないから、暇な時にでも見てねって、僕はそれで充分だし。
人のブログも毎日更新チェックはするけど、コメントは特にしないよ。
自分から関わろうとしない、他人を受け入れようともしない、
その原因が怠惰なのか臆病なのかが分からない今日この頃。
どちらにしても自然にできていない時点で、社会適合性はゼロですが。
自分のことで両手が塞がってるんだもの、他人の手だの肩だの
いちいち持ってられるかよ。
妹よ、ミクシィ使ったらログアウトしれ。と、明日言おうと思いました。
ちなみに僕は数ヶ月ログインしていません。
うっかりミスクリックしたら人様のマイミク画面でえらく驚いたわけで、
ついでに登録数があり得ないことになってて驚嘆したけれども、
そこで僕の「友達扱いしてる人間」の少なさが異常だと気付きました。
人は誰でもデコボコしてて、一人じゃどこにも行けなくて、
でもあなたの出っ張りは誰かの窪んでいる部分とピッタリで、
それが組み合わさって初めて、どこかへ転がって行けるのよ、って。
それは分からなくもないけれど、その発想をおぞましいと思う僕は
もしかしなくても人として異端です。
僕の角は簡単に折れてしまうし、誰かを受け入れるために自分を抉るのも
当たり前のことで、だけど無理に掘ったその箇所は簡単に壊死を起こして、
結局丸ごと切り捨てる羽目になるんです。
何を主張したいのか自分でもよく分からないけど、つまり僕は
突っ込んで突っ込まれての卑猥な──もとい、一般的な人間同士の
関わり合いというのにモノスゴイ苦手意識がある模様。
変にデコボコ噛み合わせなくても、隣に居てくれるだけでいいんだよ、僕は。
そうして自分から関わろうとしないから、「俺に興味ないんでしょ?」
みたいなことを言われちゃったりして、実際ないからどうしようもないんだけど。
興味がない、イコール不要というわけでもなし、要不要の発想が不健康なら
「その場に居てくれて嬉しい人間かどうか」を基準にしたっていい。
興味はないけど居てくれたら嬉しい、それじゃ駄目なのかなって。
僕にとっての「友人」は「そこに居てくれる人」。
この日記ひとつ取っても、わざわざ相手の袖引いて聞いてもらうのが
申し訳ないから、暇な時にでも見てねって、僕はそれで充分だし。
人のブログも毎日更新チェックはするけど、コメントは特にしないよ。
自分から関わろうとしない、他人を受け入れようともしない、
その原因が怠惰なのか臆病なのかが分からない今日この頃。
どちらにしても自然にできていない時点で、社会適合性はゼロですが。
自分のことで両手が塞がってるんだもの、他人の手だの肩だの
いちいち持ってられるかよ。
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