同じ引き出しでも、箪笥を開けるのと机を漁るのとでは破壊力が違う。
若かりし日の黒歴史というかデスノート(効果対象は自分のみ)というか、
コレに名前なんか書いて公道に落とした日にゃ間違いなく死ぬね、
心臓麻痺で!的なシロモノを発掘してしまいました。

同時に周囲を省みるに、創作・発信志向のオタクは日々、未来の自分を
精神的に追い詰め苛み病み衰えさせるための核爆級危険物を製造していると
考えて間違いなさそうです。形式を問わず、物語のあるものは特に。

何が恥ずかしいかって、作品という形でオブラートに包んでいるとはいえ
自分の中身をゲロしているという事実に変わりはないわけですよ。
しかもWeb日記と違って、本人にはその自覚がない。
時間を置いて距離を置いて初めて、「うわぁ」と理解できるのです。

受信専門・買い専門の人の場合でも、そういうことってあるのかしら?

ここ2、3ヶ月でめっきり本、というか小説を読めない自分に気付いて、
同時にテキストを書くことがなくなった滝野ですコンバンハ。

だって読むのが面倒なんだもん、書くのはその数十倍面倒なんだもん。
数ヶ月前に我が身を削らんばかりに書いていたのが嘘のようですが、
あの時は吐きたいもの・見て欲しいものをいかに見てもらえる形にするか、
その一点に力を注いでいたような気がします。

とにかく短く簡潔に。面倒くさくないように。

自分でも見るのが面倒なものを、いかに他人に見てもらうか、という
パッケージングの作業に精を出していたわけね。

その意味では中学生の頃のアレコレの方が、まだマシなような気もする。

劣悪さが中二病テンプレート以上? 自己顕示欲があからさま過ぎ?
だったら何、自覚持って開き直って「王道お約束万歳!」って叫んで
作品を通じて人様の中に小さく地位を築きたいという浅ましい欲求を
綺麗にラッピングして誤魔化してる今の方がよっぽどアレなのでは。

 

しかしそのラッピング技術も「一見して『下手』と蹴られない程度だが
上手い中学生には負けるかも知れないっていうか負けてますよね」という
微妙過ぎる水準なのがやるせないと思った、そんな今日この頃。

自分に欠けているのは間違いなく「継続的努力の姿勢」だと思います。
でも、だいたい一年から半年くらいで元の場所に戻ってくるんだよな……
「本が読みたい」「小説書きたい」「漫画書きたい」「勉強したい」
「運動したい」「ひきこもりたい」、この辺が日々切り替わっている様子。
問題は、その切り替えの制御が本人にも利かないってところなんですが。

 

今日の世界樹:

 というワケで、二ヶ月に渡って継続的に、一日30分〜1時間ペースで
 遊んでいるというのは奇跡のような状態である。

 ゲームをやる時はもっと、こう……
 例えばときメモ開始時に「よっしゃ全ヒロイン落としに行くぜー!」
 とか叫ぶくらいの気概、そんな情熱があったように思うのだけど。

 短期で駆け抜けてしゃぶり尽くせば良し、というゲームではないので、
 ある意味で健康的といえば健康的なのかしら。

 ボスを狩りつくして復活待ち、第六階層にてゴミ拾い(誤)クエスト中。
 発見したのはディスクにペットボトル、使用済乾電池……
 執政院はこんなもの集めてどうしようっていうんだ(;´д`)

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