だからこそ神社の奥殿には素鏡があるのです。特別な道具も持たずに
詣でた我々が、簡素な祈りだけで神に会い見え得る理由はそこにあります。

真に祈り、平静なる心を持った時、鏡に映るその人こそが神様。
僕の過去の全てを知り、現在をここに在らしめ、未来を定めるもの、
それが神でなくて何者だというのでしょう。

というようなことを22日の悪友との夕食の席で考えていたのですが、
話題は専らミュージカルテニスの王子様についてでした。
脳内と会話の凄まじい温度差を感じた、滝野ですコンバンハ。

しかもどういう流れだか、勢いだけでカラオケに雪崩れ込みましたよ。
アニメ「て」以外のページを開いてはいけないという超縛りで。

本家ミュージカルよりも余程華麗に歌い切る悪友どもは、常に僕の
予想の真上を行くのですが、毎度のことなので気にしないことにします。

 

この「悪友」という表現こそ、僕が男性たる証なのではないかなぁと、
近頃とみに考えるようになりました。

いわゆるファックコミュニケーションの一形態とでも言いますか、
これってどちらかというと男性型のコミュニケーションなんですよね。
罵って詰ってバカにして、それでも相手が離れていかないことを確認する。
褒めて褒めて関係を円滑に保つ、そんな女性型交流の対極にあるもの。

僕が相手を褒めるのは、そうしなければ相手が離れていってしまうような
薄っぺらな関係の時だけです。

(本人の努力が垣間見えた時などには勿論全力で賞賛しますが、
 愚鈍な僕が他者の努力にどの程度まで勘付けるかというと……
 普段が普段だけに、賞賛表現のバリエーションも超☆貧困だしなぁ)

そもそも僕は、本意ではない褒め言葉が好きではありません。
言葉を額面通りに受け止め、素直に喜んでしまう子供のような自分と、
「いやソレお世辞だから」と冷静にツッコむ自分の乖離する感覚が
たまらなく気持ち悪いからです。後から世辞だったことに気付き、
落ち込む自分がいることを知っているからです。

「普通」の人は違うんでしょうか。
相手の言葉の裏を探ることもせず、素直に喜べるのでしょうか。
いつだって心から相手を認めた上で、褒めてくれているのでしょうか。
もしそうだとしたら、世間の人々の心はどこまで広くて純粋なんだよ
コンチクショウ(半角)。

そう思えないからこそ、僕は相手に負の意味の言葉をぶつけることで
敵か味方かを判別するのですが──そもそも自己と相手を同一のものと
見做さず、敵味方として識別する発想自体が女性のものではありません。

 

僕の精神的性は、女性ではないようです。
「従属と調和」ではなく、「支配と征服」こそを欲します。

しかし同時に、僕は人を神だと思い、他者を不可侵の聖域と捉え、
支配など決してできるものではないと考えます。

だから二次元に逃げるんだな。

いやぁ、だって二次元の住人は人じゃないから神でも聖域でもないし。

この結論は酷い、と自分でも思った今日この頃。

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