将来の夢

2016年2月5日 日常
最近、そんな題名の作文を書いた。

なんだかんだと書くことはあるものだ。
なくなってしまったのは、思考を言葉に落とし込むための気力と時間。

ことあるごとにDaiaryNoteさんのサービス継続に驚いてしまうのだが、
しかし実にありがたい。滝野ですコンバンハ。

このブログを借りた時、僕は何者でもないのが当たり前の年齢だった。
今は、何者かになっていても不思議はない年齢である。

何者かになっているわけではなく、また、そうではない人の方が
圧倒的に多いのが現実なのだけれど。

若いんだから何にでもなれるさ。
噛み砕こうとすると、これが不思議な表現であることに気付く。

なんだか分からないけど、なにかにはなれる。
しかし、生きて行く上で確約されている「なにか」は「屍」ひとつだろう。

「人生の残り時間から逆算して、何者かになる為の努力や試行錯誤をする
 時間的余裕がある」
と、未来有望な若人には略さず伝えてくれないか。
略された部分を察せるようになるのは、その時間的余裕を失った後だろうから。

僕がなりたかった「何か」とは何か。
おいコレ遅くても就活の時に考えることだろ……と頭を抱える三十路の午後。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索